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製紙会社勤務を経て天職をつかんだ桜井運行助役の場合 |
諦めていた夢が、よみがえった瞬間でした。
早いものですね。もう20年ほど前になるでしょうか。製紙会社に勤めていた頃、たまたま乗ったバスの車体に「バス乗務員募集」の看板。そして「大型2種免許取得支援制度」の文字。バス運転士になりたいけれど、免許のハードルが高いからと諦めていた夢が、よみがえった瞬間でした。 この制度があるのなら、私にもやれるかも。そう考え、妻(当時は婚約中)に相談したところ、「ずっとやりたかったのなら、やってみたら」と言ってもらえました。地元に根差した静鉄グループの中核企業であり、その安定性にも惹かれました。そして入社後、念願の大型2種免許を手にすることができ、路線バスのみならず、貸切バスや高速バスも運転するようになりました。 |
それが自筆のお手紙だったということに、さらに感激。
バスの運転は、想像以上に楽しかったですね。大きい車体を自分が操っている。安全に目的地に送り届けるぞ…と。安全・快適な移動空間をご提供する喜びに満たされるうえ、「ありがとう」や「楽しかったよ」といったお声までいただけるのです。 転職して1年が経った頃、営業所長宛てに一通のお手紙が舞い込みました。「何月何日何時に御社のバスを利用したところ、非常に快適で、座席に置いた荷物が倒れることもなく、安心して乗れました……」。さらに運転士として私の名前も書き添えられていました。丁寧な運転を心がけてきたご褒美かもしれません。まだ新米だった私が、このお手紙からどれほど勇気をいただいたか。いまも人生の宝ものとして大事に保管しています。 |
人の命を乗せている…命懸けでやっています。
こうして18年が過ぎ、先日、運行助役にステップアップして、約80名の運転士を管轄しています。運転士だった時分、いまは中学生の長女に「バスを動かしている姿、かっこいいね!」と褒められ、乗り物好きの幼い長男は「あんな大きなクルマを運転できるってスゴイ!」と目を輝かせてくれたものです。運行助役になる少し前、「もうパパはバスを運転しないんだよ」と報告すると、ちょっと残念そうな表情。自分にしても運転業務を離れるのは、やはり寂しい想いがあるのは否めません。 |
現場の一線を退いてからは、人に何かを伝えることの難しさを日々痛感しています。トラブルの際のお客様対応も、自分が直接手を下せるわけではなく、もどかしい思いもします。営業所のデスクで心配や緊張感にじっと耐えることもあります。それだけに、最終バスが帰ってきて、「運行状況、異常なし」と報告を受けることが何よりうれしく、運転業務とは異なる達成感を知りました。あのお手紙のことを忘れず、またゼロから、ひとつずつ積み上げていきます。
転職して憧れを叶え、結婚してマイホームを建て、運行助役にもなりました。すべては大型2種免許が取れたからこそ。会社に取らせてもらった免許です。人の命を預かる仕事に携わっています。これからも一生懸命頑張ります。
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